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東京高等裁判所 昭和62年(う)553号 判決

主文

被告人両名につき原判決を破棄する。

被告人両名はいずれも無罪。

理由

被告人甲の控訴の趣意は、同被告人の弁護人榊原卓郎、同武山信良、同塚越豊が連名で提出した控訴趣意書に、被告人乙の控訴の趣意は、同被告人の弁護人神岡信行が提出した控訴趣意書に、これらに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事丸山利明が提出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、いずれもこれを引用する。

各控訴趣意中、事実誤認をいう点について

各所論は、要するに、被告人らが、原判示の土地建物をA及びBの両名に売り渡すに際し、同人らに、本件土地が自然公園法による国立公園第二種特別地域に属すること等を告げたものの、同法その他の関係法令による規制内容の全般についてこれを具体的に告げなかったのは事実であるが、それは、右Aらが本件の既存建物で飲食店を営むと言うだけで、本件土地に七階建マンションを建築する意図があるようなことを言っておらず、もとより右建物が建築可能であることが売買契約の条件とされていたわけでないうえ、もともと本件土地に対する規制内容は極めて複雑で被告人らもこれを正確に把握してなく、最終的には専門家に尋ねるか所管官庁で確かめるほかないと考えていたからであって、被告人らにおいて、規制内容をことさら秘匿し高値で売り付けようとしたわけでは決してない。また、原判示のように、前記Aらに対し、被告人甲において、手付金五〇〇〇万円の内金三〇〇〇万円を同人が一時融通してやるとか、被告人乙において、売買代金等につき富士銀行から融資を受けられるよう取り計らってやるなどということを申し向けた事実もないのである。しかるに、原判決が、被告人らが、共謀のうえ、本件土地に対する規制内容を殊更秘匿しあたかもAらの希望する建物が建築可能であるかのように装ったばかりか、原判示のような欺罔文言を用いて同人らを錯誤に陥れ、売買手付金名下に額面金額五〇〇〇万円の小切手一通を右Aから騙取した旨認定判示しているのは、事実を誤認し、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。

そこで、検討するに、原審取調べの証拠並びに当審における事実取調の結果によれば、まず、次のような事実が認められる。すなわち、本件において売買の目的とされた土地建物は、新下田農事組合法人の所有にかかる通称尾が崎ドライブインと称せられるもので、下田市内でも景勝の地である国道一三五号線沿いの高台に位置し、海に面し眺望に優れ、土地面積はおよそ一万五〇〇〇万平方メートル、地上建物は軽量鉄骨木造三階建の店舗兼簡易宿泊所で延面積は現況約三五〇平方メートルあるが、土地の大部分は斜度二〇度ないし三八度の雑木林をなし、宅地として利用可能な平坦部分はそのうちの八〇〇平方メートル強に過ぎず、また、国立公園第二種特別地域に含まれ、厳しい建物建築規制や宅地造成規制下におかれていること、前記新下田農事組合法人の出資口数は代表理事の被告人乙が全部所有しているので、本件土地建物の実質上の所有者は同被告人といってよく、被告人甲は、右組合法人の理事に名を連ねるかたわら被告人乙の所有土地全般の管理人をもしていること、本件詐欺の被害者とされるAは、横浜市で蕎麦屋を営むものであるが、昭和五七年二月ころ、不動産ブローカーと思われるCと同行して被告人乙方を訪れ、同被告人及び被告人甲の両名に現地を案内され、本件土地建物につき種々説明を受け、その際本物件の価格は一億五〇〇〇万円であると聞かされたこと、その後Aは、本件土地建物の売買斡旋により利益を得ようとして、あちこちに売り込みを図り、その売り込み先の一人であるDが被告人乙と直接交渉し、同年七月一日に一億三〇〇〇万円で売買契約を締結するに至ったこと、一方、Aは、自己が営む蕎麦屋の夏枯れ対策として本件建物においてドライブイン経営を思い立ち、知人のB、Eらを仲間に誘い、共同して本件土地建物を取得しようと考え、同月二〇日ころ、被告人甲に架電し、まだ売れていないと聞かされるや、同月二二日、二三日の二回にわたりBと二人で、また同月二五日にはBのほかE、Fを加え四名で、いずれも深夜、被告人甲方を訪れ、熱心に買い受け希望を申し出てその旨被告人乙に取り次ぐよう懇請し、一方、被告人乙は、右Dが中間金を支払わなかったので同女との契約を解除し、Aの申し込みを承諾し、A及びBの両名との間で、代金一億五〇〇〇万円で新たに売買契約を締結し、同月二八日、A振り出しの同月三〇日付額面金額五〇〇〇万円の小切手一通を手付金名下に収受したこと、しかるに、Aは右小切手の決済をすることができず、双方が弁護士を立てて折衝したが解決に至らず、新下田農事組合法人において、Aを被告とする五〇〇〇万円の小切手金請求訴訟を横浜地裁に提起し、一方、Aは、被告人両名を詐欺容疑で下田署に告訴し、刑事事件は静岡地裁沼津支部に係属するに至ったこと、民事裁判において、Aは要素の錯誤による無効とか詐欺による取り消しなどの抗弁を申し立てたが、いずれも裁判所に容れられず、一方、刑事裁判では、逆に被告人両名共詐欺罪で有罪とされるに至ったことが認められる。

さて、原判決の罪となるべき事実によれば、被告人らは、Aらが一、二、三階がドライブイン及びその関連施設、四階から七階までが分譲リゾートマンションという建物を建築する意図であることを知りながら、規制上それが不可能であることの情を秘し、かえって七階建の建物でも建築可能であるかのごとく申し向け、さらに手付金五〇〇〇万円のうち三〇〇〇万円については被告人甲において一時これを融通し、また、マンション建築資金等も被告人乙の計らいで多額の銀行融資を受けられるなどと申し向けて欺岡し、Aらをしてその旨誤信させ、よって手付金名下に上記小切手を騙取したというのであるが、一方、原判決中の被告人らの主張に対する判断の項によれば、被告人らがAらに対し、規制の有無及びその内容を告げなかった不作為が、取り引き上の信義則違反として、欺罔行為に該当する旨説示されている。かように、原判決は、罪となるべき事実においては作為による詐欺を認定し、弁護人の主張に対する判断の項においては不作為による詐欺の成立を説示するかの如くであるが、いずれにしても本件において中心となる論点は、土地売買における規制内容の告知義務の有無、程度の問題であると考えられるので、まず、この点から検討することにする。

およそ、売買の目的である土地が、いかなる法的規制を受けるかは、その利用方法に直接影響を与え、価格にも当然影響するから、信義則上、売り主において、買手にこれを告知すべき法律上の義務があり、その秘匿、不告知がときに詐欺罪における欺罔行為にあたる場合がありうることは、原判決が説示するとおりと考えられる。しかしながら、現在ではいかなる土地でも大なり小なり各種の法的規制を受けていることは周知の事実であり、特に本件のような国立公園内の土地についてとりわけ厳しい規制がなされていることは広く知られているところであるし、しかも、その土地に対する規制の有無及びその内容は、所管官庁について調査すれば、容易かつ正確にこれを知ることができることも事実であるから、売り主においていかなる程度にこれを告げれば告知義務を尽くしたといえるかは、上記の事情と照らし合わせながら決する心要がある。ところで、本件土地は伊豆箱根国立公園内に位置し、その中でも第二種特別地域に指定され、関係証拠によれば、建物の建築は、それが公園事業の執行等でないかぎり、その敷地は地形勾配が三〇パーセントを超えないもので、その建築物は、総建築面積・総延べ面積のその敷地面積に対する割合が二〇パーセント以下・四〇パーセント以下で、その高さも一三メートルを超えないもので、道路から二〇メートル以上離れているものでなければならない等の規制を受けているとされ、そのほか、記録によれば、土地の造成とか、建物の用途とか、建物の色彩に関してまで、誠に複雑、詳細な規制が加えられていることが認められる。さて、被告人乙の供述するところによれば、同被告人は、昭和五八年二月ころ、CとAに対し、本件土地建物につき現地で説明をした際、建蔽率は二〇パーセント、高さ制限は一三メートル、建物の色彩はけばけばしいものを避ける等の規制がある旨話したというのであり、さらに、被告人甲の供述するところによれば、同被告人はAに対し、本件土地建物がまだ売れてないか電話で聞かれた際、「二種だけど何やんの」、と訊ねたことがあるというのである。Aはそのような説明ないし質問は聞いてないというが、被告人両名の上記供述は、捜査時、公判時を通じ一貫した弁解であること、被告人乙が、Aの口利きで本件土地建物の買付けに来たDに対し、規制内容を関係官庁について調査するよう慫慂し、同女もこのような事項は自分で直接調査するのが最も安全確実であるとして被告人乙に規制内容の詳細を問いただすことをしなかった事実が記録から認められるが、これによれば、被告人乙は同女に対し規制内容を特段秘匿するような態度に出ていなかったことが明らかであるに拘らず、Aらに対してだけこれを秘匿するというのも不自然、不合理で、秘匿したことの縁由となる特段の事情が窺えないことなどの点に徴すると、前記弁解が偽りであると決め付けるわけにはいかない。しかして、被告人乙は本件土地を実質上所有しているだけで、格別不動産取引を専門としているわけでなく、本件土地に対する規制内容も断片的にしか認識していなかったことが認められ、一方、Aは、昭和五七年二月ころに被告人乙と接触したときから、同被告人に対し恰もプロの不動産屋であるかのように振る舞い、Aを抜きにして売買したときには周旋料相当額を損害金として支払わせる事を約束させたり、あちこちに本件土地建物の売り込みをしたりした事実が窺われる。このように、本件のような国立公園内の土地建物をその持ち主が不動産業者のように振る舞う者に対し売り渡す場合には、不動産業者が一般人に対し住宅などを売買する場合などとは異なり、規制の内容を逐一告げなくとも、規制のあること及びその概要を告げ、相手方においてこれを調査する機会を与えれば足りると解するのが相当であり、その意味で、本件において被告人らは告知義務を尽くしていないと認定することはできないものであるというべきである。

なお、原判決は、本件売買契約が七階建リゾートマンション建築が可能であることを前提としたものであり、かつ、被告人らにおいて、七階建の建物の建築も可能であるかのごとく申し向けた旨認定判示している。なる程、原審公判廷において、A、Bらは、甲に分譲リゾートマンションのことを話したところ同被告人が仮称白浜ホテル設計図なるものを示しながら、五階建でも七階建でも建てることができるようなことを言ったので契約に踏み切ったもので、これが建築可能であることが契約の条件であったかのように述べているが、当審における事実取調の結果、Aらにおいて前記仮称白浜ホテルの設計図や事業計画書を示されたのは本件契約を締結し終わった後であることが確定的に明白となり、A、Bらの供述の信用性が著しく失墜するにつれ、逆に前記事実を否定する被告人らの弁解の真実性が高まり、さらに、Aの供述するところでも、分譲リゾートマンション計画なるものは極めて漠然としていてなんらの具体性がなく、採算面の検討も、資金面の裏付けも全く欠いていることや、契約書にAが言うような特約条項の記載がないことなどの点をも考え併せると、七階建マンションが建設可能であることが本件契約の条件であったとか、そのような建物が建つなどと被告人甲が申し向けて契約締結を促進したというような事実があったものとするには疑いが残るといわなければならない。

つぎに、本件土地建物購入資金やマンション建築資金等について、被告人らが融資を取り計らう旨約束をしたか否かについて検討するに、当審における事実取調の結果によれば、Aは、本件に関する民事事件の本人尋問において、手付金五〇〇〇万円のうち二〇〇〇万円をEが拠出し、三〇〇〇万円は被告人側から一時融通を受け、右三〇〇〇万円及び売買残代金、さらに建築資金等はすべて被告人乙の斡旋で銀行から融資を受け、これらの借入金はマンション分譲代金をもって返済する目論見であったと述べていることが認められるから、かかる考えでいたAにとって、被告人乙が融資を実現してくれることが契約の前提となっていたことはそれなりに考えられることである。しかしながら、記録によれば、Aの思惑にもかかわらず、本件契約が成立した際、被告人らが、富士銀行と取り引きがあるからAらが融資を受けるのであれば口添えする旨申し向けた事実は認められるものの、融資が確実であるとか、責任をもって融資を取り付けるなどと約束した証跡はなく、A自身も、被告人らの発言がその程度のものでしかなかったことを認めているのである。してみると、これが契約の条件であったとか、契約の重要な要素であったなどということは到底できない。しかも、被告人らがもともと融資の口添えをする意思がないのに殊更そのようなことを申し向けたとする証拠もないから、この点が欺罔行為にあたるということはできない。

さらに、被告人甲がしたとされる三〇〇〇万円の貸与約束についてみると、被告人らにおいてそのような約束をした事実を一貫して否定していること、A及びBはかかる約束がされた旨供述するが、何時、何処でそのような約束がなされたというのか具体性を欠き、約束があったとすれば当然決まっている筈の、融資の具体的方法、融資金の返済期限、返済方法、保全措置などについて取り決めがなかったというのも不自然であること、A、Bらがこの三〇〇〇万円の話が出た動機、経緯について述べるところによれば、同人らが手付金五〇〇〇万円のうち二〇〇〇万円は手当てできるが七月末にならないと三〇〇〇万円の都合がつかないと言ったのに対し、被告人甲が、被告人乙が渡米するからその不在中に同被告人の金を一時用立ててやると言ったというのであるところ、EやFらは、必ずしもAらの言うとおりの内容の証言をしていないこと、その後小切手を契約の当日付でなくそれから二日先の七月三〇日付で振り出すことが了承されたから、七月末まで繋ぎに一時融資しなければならない必要はなくなった筈であること、被告人甲が三〇〇〇万円、Aらが二〇〇〇万円支出して本件小切手を決済するという不可解な方法をとるより、当初から手付金を二〇〇〇万円と定めるほうが自然であるし、被告人らの利得額はそうしても変わりがないこと、被告人乙は小切手が換金されるのを待って渡米する心算であったと述べているから、被告人甲のいうような手段方法での一時貸与が実行不能であることは考えるまでもなく明らかであり、欺罔の手段としてみて不自然、不合理というべきこと、などの諸事情に鑑みると、原判示の三〇〇〇万円一時貸与の話は、Aが、B、Eを仲間に誘引し、同人らから経済的援助を引き出すためにした作り話である疑いがあるというべきである。

以上検討してきたところのほか、被告人らとAらは、本件契約の当日に、契約から六日後の八月三日で現地で専門業者を交え建物の設計、施工につき打合せをする約束をし、右約束に基づき、被告人らにおいて、設計技師や建設業者に当日参集するよう手配していることが認められ、かかる事情は本件を詐欺と断ずるのと相容れないこと、また、当審における鑑定人小谷芳正の鑑定の結果によれば本件土地建物の犯行時の適正価格は金五六、一六一、〇〇〇円と認められるが、同人の当公判廷における供述によれば、類似の売買事例がすくないため本件土地建物の適正価格を一義的に定めるのは困難であり、立地条件の特殊性や希小価値からすれば、現実にはその二、三倍の価格で取引されるケースもないわけでないことが認められ、現にDを買い主として一億三〇〇〇万円で契約がなされたこと、当審における事実取調の結果によると、原判決後一億八〇〇〇万円で買い受けを申し出た者があることが窺われなくもないこと等に鑑みれば、本件売買価格と適正価格とで三倍近い開きがあることから直ちに売り主側の欺岡意思を推認することはできないこと、仮に被告人らが騙して契約に持ち込んでも、これが露見すれば契約を解除され、手付金を取り返されるのは目に見えており、それを回避するために早々と逐電するとか資産を隠匿するとかするのであれば格別、別段そのような状況が窺われないことは、被告人らに欺岡の認識がなかったと推認させること、さらに、本件小切手金請求訴訟でAの代理人が提出した要素の錯誤とか詐欺による取り消しの抗弁が悉く裁判所によって排斥され、結局Aらが一定の金銭を支払うことで和解していることも、本件を詐欺と断ずるのに相容れない事情である。

以上の次第であるから、原判決が認定判示するところの欺罔行為なるものは、証拠の取捨選択を誤った結果、そのような事実の認定に至ったものであるか、または摘示された事実の存在は認定できてもそれを欺岡手段として評価することができないかのいずれかであって、いずれにしても、詐欺罪の証明が十分であると認めるに足りない。してみると、被告人両名につき詐欺罪の成立を肯認した原判決は、事実を誤認し、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである。その余の論旨について判断するまでもなく原判決は破棄を免れない。

よって、刑訴法三九七条一項、三八二条により、被告人両名につき原判決を破棄し、同法四〇〇条但書にしたがい被告事件につき直ちに判決することとし、被告人らに対する本件公訴事実の要旨は原判決の罪となるべき事実の記載と同旨であるところ、既に述べたとおり、右事実について犯罪の証明がないので、同法四〇四条、三三六条により、被告人両名に対し無罪の言い渡しをすることとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官時國康夫 裁判官神作良二 裁判官山田公一)

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